ご来館のお礼とご報告
「第15回石丸繁子書道展」では、いつもながら温かいご支援を賜り衷心よりお礼申し上げます。
コロナ禍での開催でございましたが、その中でもご来館くださった方々は、「作品・作品解説」など熱心にご覧いただき、特にトークや揮毫の場面では関心の高さを胸に刻むことができました。
今展は、子規が蕪村発句の影響を受け、さらには「写生」の方法を導入することによって、「俳句革新」を成し遂げるなど、いつも新しいことへ挑戦する子規の姿をご披露することができました。
今後とも倍旧の御厚誼、ご教示を賜りますようお願い申し上げます。
令和4年11月吉日
石丸 繁子
揮毫風景
子規句「秋高し鳶舞ひ沈む城の上」を、アルゼンチン
タンゴの曲「淡き光に」に合わせて、筆を動かせた
松山市立子規記念博物館 第15回展「石丸繁子書道展」は終了いたしました。
今展は、「子規の写生」と題し、明治28年の子規に光をあてた。子規は、蕪村に心酔し、さらには「写生」の方法を導入し、新たな方向へと足を伸ばすべく熱心な研究作句が続けられた。
この年、子規は目まぐるしく移動し、身辺に変化の多い年であったが、作句数は二千八百九十余句にも上った。
子規と蕪村とのかかわりにおいて、子規グループは、「蕪村派」として認められる一方、シビアな評価も出現し
た。その中で、子規は俳句観が確固たる所以をうかがわせる俳論「俳諧大要」を執筆し、この考えを基底として
「俳句革新」を成し遂げた。子規の論点の視座は「標準」である。それは、「俳句は文学の一部なり。・・・」と
の文言ではじまる。子規にとって、俳句とは「美」を十七文字に形象化することであり、作句にあたって重視し
たのは、美的感動であった。つまり感動による句作りをもたらしたのである。
子規は、如何なる場合でも、他の追随を許すことなく独自の旗幟を明らかにしていった。
私はそんな子規に魅了されて筆を握っている。
タイトル :「子規の写生」
サブタイトル:「子規の俳句革新」
会 期 :令和4年11月20日(日)〜11月26日(土)(22日(火)は休館日)
時 間 :午前9時〜午後5時(最終日午後4時まで)
会 場 :松山市立子規記念博物館3階特別展示室
トーク・パフォーマンス(揮毫)午後2時〜
※新型コロナウイルス感染の状況によって中止する場合があります
観 覧 料 :無料
主 催 :繁企画
後 援 :愛媛県・愛媛県教育委員会・松山市・松山市教育委員会・愛媛新聞社・
愛媛CATV・建築美術工芸同人座かんさい
新型コロナウイルスの感染が収束しない中での開催ではございますが、会期中、足をお運びいただきたくご案内申し上げます。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、マスク着用、検温、手指消毒にご協力ください。